神保町はどこにある?

……北緯35度41分45秒,東経139度45分29秒。
 多少の誤差はあるかと思いますが、これが神保町交差点付近の緯度・経度です。
(国内の緯度・経度は国土地理院のホームページ[http://www.gsi.go.jp/]で調べることができます。)

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 地理好きの方、旅行好きの方の中には、「北緯35度」と聞いてピンとくる方もいるのではないでしょうか。北緯35度線は東西に走る本州の中心線といわれ、南北を走る中心線といわれる東経135度線と交差する兵庫県西脇市には「日本のへそ公園」があります。試みに「北緯35度」をインターネットの検索エンジンで検索してみると、さまざまな標識や記念碑の情報がヒットします(東経135度でもたくさんヒットします)。

 もっとも、北緯35度線からの差「41分45秒」を距離に換算すると75kmほどになりますので、実はちょっと遠い……35度線は房総半島の南端付近……のですが、神田神保町は日本の「へそ」のちょっと上、おなかを温めて気持ちいい、くらいのところに位置しているのです(ちょっと強引?)。

 では東経139度はどうかというと、新潟県新潟市、群馬県前橋市、埼玉県秩父市、神奈川県丹沢湖がほぼ線上(3〜4分の差)、神田神保町に近い経度では茨城県古河市、福島県会津若松市、山形県鶴岡市などがあります。ちなみに古河も会津若松も鶴岡も、歴史と観光の街ですね。

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 これが地球規模の話になると、もっとたくさんの発見がありそうです。私たちも調べていきたいと思いますが(緯度または経度が同じところと姉妹都市に、という事例もあるらしいですし)、「この国のこんな街が同じだよ!」という楽しい情報がありましたら、ぜひ当サイト「神田神保町ひろば」までお寄せください。

神田神保町はいつできた?
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 「本の街」として、日本全国はもとより、世界的にも知られつつある神田神保町ですが、「本」以外にも学問の街、歴史的建築物の街、昔ながらの喫茶店がたくさんある街、最近ではカレーの激戦区……と、実に多様な顔を持っています。

 現在の神田神保町一帯は、江戸時代には武家屋敷が多く建ってました。町名のはじまりは、元禄時代の旗本「神保長治」の屋敷の小路を神保小路と呼んだことといわれています。町名は明治から昭和にかけての市区改正や関東大震災後の整備などの変遷を経て、昭和22(1947)年の千代田区誕生とともに現在の町名となりました。

 千代田区内には、町の由来や古地図などを知ることができる「町名由来板」が各所に設置されていますが、神田神保町にももちろんあります。
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作家の紀田順一郎さんや逢坂剛さんが寄稿しているものもあり、読み応えも十分。何かと慌しい毎日の中、ちょっと宝探し気分で足を止め、街の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。